先日、プライベートな役所絡みの手続きで色々と書類を書く事があったのですが、そこでは年月日を和暦(昭和、平成、令和)で書く必要がありました。
今年が令和何年なのかにまごつく人も多いのか、窓口の担当者氏は最初のうち「そこは今日の日付、えーと、今年は令和7年です」とかサポートしてくれていたのですが、実は自分の中では明治以降ぐらいの和暦と西暦は大体リンクして、その上で公私にわたる出来事と結びついているので、これは昭和何年、あれは平成何年とスラスラ書いていくうちに全くサポートが入らなくなりました(←オタク中年の嫌らしい自慢・マウンティング(笑))。
この感覚を客観視してみると、両者はリンクしつつ、西暦と和暦それぞれで独立した「◯年代(さらに前半、後半など)」という括りで、出来事や世相などを整理している事に気付きます。
もしゴー宣の始点を「おこっちゃまくん」に置くとすれば、その(雑誌「宝島」での)開始は平成元年(1989年)の2月、まさに「ゴー宣は平成と共にスタート」しているんですね(SPA連載・2ndシーズンの単行本にもその観点の特集がありましたね)。
そして、ブレイクからオウム事件、薬害エイズ訴訟など紆余曲折を経て「戦争論」が刊行されたのは平成10年(1998年)。戦争論は「ゴー宣10年目の到達ポイント」だったわけです。
もちろん、和暦、西暦共に「その数字自体に意味がある」わけでは無いにしても、この「ある種の束縛」を用いると、自身の履歴の振り返りや先の展望を驚くほどクリアにしてくれます。
その観点から、自分の中には「令和10年には〝大きな節目〟を実現したい」という意識があります。言うまでもなく、そこにイメージされる最大の事柄は「皇室典範改正〜愛子さまの立太子」!!。
令和元年が2019年の中盤から始まった事を換算すると、「実質的な令和10年」まではあと2年半強。実は、私がDOJOのサポーターとして正式に運営へと参加するようになってから、丁度その位です。
個人的な領域だけに限って考えると、ゼロからこの2年半で費やしたのと同等のパワーを使えば、とてつも無く色々な事が出来る!幸い、意欲とネタに全く不足はない。
「令和10年」という区切りは、このタイミングでのターゲット(広義での「自分を一番自由にしてくれる束縛」)としては非常によさそう!
ひとまずそこまで、自分の脳にも、皆さんの脳にも、ドーパミン溢れまくりがキープされるような刺激的な事をブチ込んで行きたいです!





















